うつわ日記

うつわオタク

6月某日

12時ごろ起床。同居人と気まずくて爆音でDos MonosのLPをかけた。

バススピーカーで浦小雪を聴きながらシャワーを浴びる。
穏やかでハッキリと熱を持った声、「日記にしか書けない事を歌にして聴いてもらう」と言う作詞もいい。自分にだけ問いかける本音や思い出してしまう景色を前向きに音楽にしている感じが清々しく、自分との共通点から好意を持つ。
身支度を整え13時過ぎ家を出る。

新しい仕事にも慣れて来てやりがいや手応えを感じる事が少なくなって来た。仕事が全て、仕事に打込める人になりたくて工夫してやって来たつもりだけど、どうやっても打込めない。工夫すれば変えられる事だろうが試行錯誤は容量を使うので余裕を作らないといけない、など思う。
理想と違う自分を好きでいるには、まだ今が途中だと思う必要がある。23時頃終業。

先日Tから聞いた話が頭から離れず頭がやられている。嫌な話が耳に入って来るのは普段モラルなく過ごしているからかも知れない。俺と同棲を解消したら恋人ではない自分と子供を作りたいという人と懐妊まで同居する。認知はせず養育費も払わないが給付金は貰うという事だった。この話がまとまらないから直ぐに出て行かなかったのか、と思う。
他人の迷惑にならなければどこまでやっていいのか?人はどこまで利己的でいいのか?個人の自由をどこまで良しとするのか?結婚、出産、子ども、命に与えられた意味はなく、意味を求めたり見出したりする必要もないくらい呆気ないものだと感じた。
Tが俺の事を優しいと言ってくれたのが「自分と比べて」という意味じゃないとしてもケチがついた様に感じて悔しい。優しいと言ってくれた言葉を糧にしていた自分に気が付いて惨めだ、悔しい。いらなかった1日だった